株式会社丸田
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- 商社
- 島根県益田市
登録企業情報OPERATING COMPANY
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株式会社丸田は1937年9月創業。今年は創業80年を迎えます。
創業名は田原建材店で創業者は田原謙一で始まりました。
田原謙一は(資)三木屋で丁稚として商売を覚えました。当時は給料ではなく米や味噌などを頂いて生活をしていました。当時は生めよ増やせよの時代で13人の子供を生み、9人が生き残りました。三木屋の旦那様からそろそろ独立したらどうかという暖簾わけになり、個人創業での始まりで、仕入先からは信用貸しで商品を仕入れ、売れたお金で支払をして一度も遅延することなく現在まで続き、社是は「信用第一」となりました。働き手は家族だけでした。
1945年12月29日に株式会社マルタ商会資本金1万円で法人としてスタートし、
1949年5月株式会社丸田商会資本金50万円、
1952年1月丸田金物株式会社に改称、
1957年1月資本金200万1979年資本金7500万。
2001年9月資本金を7500万から5000万に減資し事業継続をしやすいようにしました。
お取引先の皆様のご理解を頂いたことが大変幸せなことでした。
創業者の遺言は、「丸田の丸は事業継続を意味し、田は田原家で家業である。家業での事業継続ができない場合は廃業をする事。」でした。
創業者は個人経営で始まり法人化してからは社員も雇い入れ、家族社員(正社員)として採用し定年制度もない時代でした。
1971年12月には浜田市のお客様から声がかかり浜田営業所を開設し、取扱商品も機械、鋼材、土木、建築、管材資材等お客様対応を進めました。
1980年8月2代目田原登司雄就任、銀行取引をいち早く着手し事業を拡大につなげ、情報化(テープリーダー売上管理・IBM)にもいち早く導入し活用しました。
1989年8月3代目田原実就任し1997年8月退任の間、2代目は体が弱く4代目もまだ若く事業継承の間を取り持って頂き、1996年4月には山口営業所を開設しました。
1997年8月4代目田原裕司就任し、2001年11月邑智営業所開設、2003年3月大田営業所開設、2003年5月NPO法人あじさいに介護施設20床賃貸(現在46床・不動産事業)2003年7月ライフラボ益田開設から太陽光発電販売を始めました。
2008年9月合同会社農夢設立(益田市地域資源活用という意味合いで農業・関連会社)
2010年4月ツインメゾネット出雲(アパート9世帯)2010年9月一般貨物自動車運送事業開設
2010年12月出雲支店開設、お客様や地域の多様性に対応して事業を進めています。
現在の社員数は68名(男性46名・女性22名)で、事業は益田市から始まり、
本社・益田営業所・管材センターは益田市、地域企業からお誘いを受けて山口営業所は萩市、
浜田営業所・浜田建築土木センターは浜田市、邑智営業所は川本町、大田営業所は大田市、出雲支店は出雲市と事業展開しています。
地元社員を採用して、原則、転勤はない組織体制にしています。
創業から現在までは公共事業、民間事業ともに発展した時代は地元商社として貢献できた。
未来将来は、公共事業の発注が減少し、民間事業の商流が変化していくので、商流の変化に対応する体質することにより、取引先様が利益出る「利他自他」精神に心がけていきます。
毎月1回、家所会議と部門営業会議を行い、取引先様の意見や要望等の情報を共有し応えて行ける会議をします。
71期から個組織から上下左右組織に転換し、72期からは常務を営業本部長とし、社員管理職として各部門営業本部長体制にして、内部営業拡充にする事により取引様との関係がタイムリーでスムーズな商流になるように努力します。
2037年9月に創業100年になります。
現在、社長62歳、専務33歳(長男・慎一郎)、常務30歳(次男・佳祐)三人の取締役で経営を進めています。
ここ数年で事業継承をして、新経営者の未来あるリーダーシップと全社員一丸となって創業100年に向かって確実に歩んでいきます。
島根県で一番働きたい会社を目指しています。
新年会は全社員が一堂に会して、年頭所感を語りながら、郷土料理や名物料理と地酒等で楽しい時間を過ごしています。
仕入先の新商品説明会や工場見学にも参加し、得意先の安全パトロールや安全大会にも参加して、三方よしにつながる関わりを大事にしています。
将来を見据えて、採用に力を入れているところでございます。よろしくお願いします。
仕事内容は主に、注文を聞き商品の仕入れなどを行っています。
お客様と直接触れ合うこともあるので、まずは笑顔で明るく挨拶と、基本的なことを大事にして信用も得てもらえるように日々心掛けています。
職場はとても明るい雰囲気で、お客様とも触れ合いながら楽しく仕事をしています。
何でも揃う丸田